認知症を知ることになった事件は、ハッピーニューイヤーのすぐ後に。
去年までアクティブシニアでも、今年もそうとはかぎらない。
認知症を早期発見するのはすごく難しい!
一緒に住んでいれば良いですが、月に1度しか会わなかったり、
その1回が短時間だったりすると気づくことは、かなり難しい。
私も親とは別居していて、2ヵ月に1度、一緒に買い物をしたり、ご飯を食べに行ったりするだけ。
LINEや電話は頻繁にしてたけれど、それも普通にできていたので、
正直、この事件があるまでは全く心配していなかった。
これと言った根拠はないけれど、「自分の親は認知症や介護生活にはならない」と思っていた。
特に母に関しては、これまで滅多に寝込むということもなかったし、
70歳で、シアトルの大学に通っていた孫に一人で会いに行くようなアクティブシニアだった。
でも、後から徐々に分かったことだけれど、
少しずつアクティブシニアでは無くなっていたことに、ただ私が気づいていないだけだった。
緊張感漂う救急隊員とボケる母
そして、この事件をきっかけに「親はいつまでも元気ではないのだ」と身をもって知ることになった。
いきなりハンマーで殴られたような衝撃だったけれど。
我が家は毎年大みそかのうちに、実親が我が家に来て新年を迎え、
年始に義理の親の実家にみんなで集まることになっている。
例年通り、2020年12月31日も我が家に泊まりに来た。
いつもと違う様子に、最初は「少し元気がないな。大掃除で疲れたのかな?」
位にしか思っていなかったけれど、
家の中を歩くのも、ヨロヨロして、どんどん右の方に寄ってまっすぐ歩くことが出来ない状態。
具合が悪そうだから、もう寝たら?と促して早めの就寝。
あまりの異変に、心配になって1時間くらい経ってから部屋を除くと、
普段いびきをかかないのにすごい音。
これは明らかにおかしい。
夜間の電話相談で「脳梗塞の恐れがあるから一刻も早く病院に行かないと大変なことになります!」
と言われ、救急車を呼ぶことに。
救急隊員の人が到着した時には、ろれつが回っていないし、失禁してるし、熱が38度5分以上ある。
救急車に乗って、病院の受け入れ先を探している間、救急隊員が意識を確認するため母に質問。
救急隊員:「今、何月何日ですか?」
母:「10月かな?」(私のこころ:今は1月1日元旦なのに‥やっぱり重症なのかな)
救急隊員:「今、おいくつですか?」
母:「64です」(私のこころ:え!?10歳もサバ読んでる・・)
救急隊員:「体重は何キロですか?」
母:「40・・何キロだったかな。細かくは分からない」(私のこころ:いやいや、50は絶対あるよね)
朦朧としている中でも、母らしい部分が見えて、緊張が少し解けた。
救急車事件が、運よく認知症の早期発見に。
・・・で、病院の検査の結果は。
脳梗塞の問題はなし。
今回の原因は、発熱と1カ月前から服用している整形外科の薬が合わないためだった。
その時に、脳の緊急な問題はないものの、念のため詳しく脳の検査をした方が良いと言われ、
その1週間後のMRIの検査で認知症とわかった。
今思えば、救急車で運ばれるほどの体調不良にならなければ、認知症の検査まだしていなかったと思う。
それくらい認知症の発見は難しい。
でも認知症の発見が早ければ、早いほど、薬の効果や進度も遅らせることが可能になる。
認知症の検査を受けたがらない親は多いけれど、自治体や病院で受ける「認知症機能テスト」だけでは
早期発見は難しい。個人差はあるけれど、うちの母はずっと満点でした。
それでも、脳の萎縮はかなり進んでいました。
日々の行動や、MRIなどの総合的なチェックが必要です。